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ホーム > 学ぶ・楽しむ > 観光 > 観光に関するお知らせ > 速野まるごと博物館マップ~歴史編~

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速野まるごと博物館マップ~歴史編~

公開日:平成28年3月31日

速野学区のたからものを紹介します!

速野学区まちづくり協議会ふるさとづくり委員会では、速野学区にある豊富な歴史資源を皆様に知っていただくために

「速野まるごと博物館マップ~歴史編~」を作成しました。

速野まるごと博物館マップ~歴史編~

「速野まるごと博物館マップ~歴史編~」ダウンロードはこちらから↓

マップ表面(PDF:793KB)マップ裏面(PDF:1,088KB)冊子(各施設詳細記載)(PDF:3,206KB) 速野まるごと博物館マップイラスト下の表の「名称」部分をクリックすると、各施設等の説明にジャンプします。

一覧
番号 名称 番号 名称 番号 名称
1 法泉寺 19 観音寺 37 旧木浜小学校跡
2 徳成寺 20 立像寺 38 故土手一等陸尉頌徳碑
3 西法寺 21 今姓寺 39 お満灯籠
4 蓮光寺 22 福正寺 40 大槻氏城跡
5 淨秀寺 23 寿福寺 41 木浜城跡
6 照久寺 24 正法寺 42 速野小学校
7 圓照寺 25 己爾乃神社(開発) 43 速野幼稚園
8 玉林寺(観音堂) 26 己爾乃神社(大曲) 44 明富中学校
9 光林寺 27 稲荷神社(木浜) 45 ひなぎくこども園
10 光照寺 28 樹下神社(今浜) 46 速野カナリヤこども園
11 了福寺 29 皇太神社(美崎) 47 佐川美術館
12 真正寺 30 樹下神社(水保) 48 琵琶湖大橋
13 蓮光院 31 樹下神社(中野) 49 列系図橋跡
14 福林寺 32 旧洲本学校跡 50 天神橋跡
15 法円寺 33 旧速野村役場跡・旧駐在所跡 51 今浜橋跡
16 法華寺 34 旧木浜港 52 大川橋跡
17 阿弥陀寺 35 お満さんモニュメント 53 北公民館
18 正覚寺 36 旧広明学校・旧今浜小学校跡 54

速野会館・公民館・支所

 

1究竟山法泉寺(くきょうざんほうせんじ)

法泉寺写真

 慶長17年(1612)9月21日に真宗佛光寺派本山より寺号を受け、開基は浄春法師(正保5年1月16日往生)をもって初代とされています。

 現在の本堂は文化5年(1808)3月に建立されたものと推定されます。(本堂屋根瓦の銘文から)

・寺宝

「三朝高祖真影」正徳3年(1713)3月中旬

「上宮太子御影」正徳3年3月中旬。願主釈春味

「汁谷親鸞聖人御影」元禄9年(1696)12月中旬

「釈春味住職奥書」

寺号:究竟山法泉寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗佛光寺派

所在地:洲本町1413番地

2一乗山徳成寺(いちじょうざんとくじょうじ)

徳成寺写真

 一乗山と号し、滋賀県市町村沿革史によると、「元禄元年(1688)教祐師を開基とす」とあります。

 本堂は、昭和55年修復の際、棟木に嘉永2年9月吉日(1849)【奉納本堂一式】の記録が残っているのでこの時に建立されたものと拝されます。

御本尊の阿弥陀如来立像は、享保5年正月23日(1720)角坊手次開発村惣道場徳成寺什物也、願主門徒中と記した添書きを持った仏です。

寺号:一乗山徳成寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗佛光寺派

所在地:洲本町1454番地

3観壽山西法寺(かんじゅざんさいほうじ)

西法寺写真

 元禄7年8月9日開基。(天保14年癸卯歴9月24日「西法寺記録」ヨリ)以前の沿革は、同上、「西法寺、記録」によると、応永元年申戌年の記録に「年貢地近江国野洲郡開発村西法寺」と、「西法寺」の名が見えるとしていますが、建立等の詳細は野洲川堤防切れで、覚書等が一切流出し、不明とされています。

寺号:観壽山西法寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:浄土真宗本願寺派

所在地:洲本町1473番地

4若王山蓮光寺(にゃくおうざんれんこうじ)

蓮光寺写真

 伝教大師勅旨を蒙り湖東八ヶ寺建立の一即法院速野山若一王寺と称し、伊香姓、大夫厚時を以て探題職とされました。その後川那辺正證承久の役に官軍により堂炎上建武元年厚高大塔に属し功があり、貞厚の孫貞治蓮如上人に帰依して真宗となりました。上人屢巡錫し給い、その妻妙實に二尊像(祖師連座の御影)を下賜されました。第三十三世時厚深く實如上人に帰依し出家して善春と号し、第三十七世願祐に至って若王山蓮光寺に改められました。

寺号:若王山蓮光寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:洲本町1594番地

・宝物

祖師蓮師連座御影蓮如上人御筆御裡蓮如上人

御文二通 實如上人御筆

要文二幅対 教如上人御筆

六字名号 蓮如上人御筆

紺紙金泥名号 祖師聖人御筆

布袋丸御影

三方正面阿弥陀如来恵信僧都筆、御裏實如上人

5観月山淨秀寺(かんげつざんじょうしゅうじ)

淨秀寺写真

 その開創と由緒は明らかでありませんが、初め畠中道場といい後に淨秀寺として、開基仏とされる方便法身尊像(裏書は弘治2年(1556)を中心に開発中村の同行が拠っていました。現在のご本尊木造阿弥陀如来立像は、元禄16年(1703)京都の同行より寄進されたものであり、その後、正徳3年(1713)に、東本願寺真如上人より、開山(親鸞)聖人、蓮如上人、聖徳太子、七高僧の真影・尊像が下附されているので、この頃現在の寺観が整えられたと思われます。寛政の頃(1790年頃)から明治初年までは、赤野井東御坊大恩寺の懸所とされ、御坊輪番が留守居職を兼務していました。依って、この間の天保13年(1842)に再建された現本堂は、本山別院の格式に準じた七間四面、二重濡縁、向拝四本柱などの造作が整えられています。その後、明治初年に当時の留守居職が改めて住職となり一般末寺に転じ、また、現山門、鐘楼等も順次新営されて現在に至っています。

寺号:観月山淨秀寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:洲本町1729番地

6玉林山照久寺(ぎょくりんざんしょうきゅうじ)

照久寺写真

 織田信長による焼き討ちに遭うまでは、天台宗の寺院でしたが、以後、浄土真宗の寺院として現在に至ります。また、類焼による詳しい記録は残されていません。開基佛と称せられる阿弥陀如来像の裏書きに、天正17年8月朔日証如上人、延亨4年、初代恵舜開くと書かれています。

寺号:玉林山照久寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:浄土真宗本願寺派

所在地:洲本町2286番地

・寺宝

宗祖親鸞聖人御影

中興蓮如上人御影

木佛尊像

本山より「照久」の寺号を賜う

聖徳太子御影

七高僧御影

歴代本山宗主御影

7日輪山圓照寺(にちりんざんえんしょうじ)

圓照寺写真

 元和元年洛西円通寺の円正阿闍梨によって開基。不明大曲惣道場として方便法身の尊形、阿弥陀如来絵像下付、その後木仏尊像となり、元文四年太子七高僧絵像下付。

不明開山親鸞聖人絵像下附。

元禄六年蓮如上人絵像下附。

寺号:日輪山圓照寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:洲本町大曲2271番地

8法流山玉林寺(ほうりゅうざんぎょくりんじ)

玉林寺写真

 延暦年間(782~805年)に伝教大師がこの地を訪ねられた際に、田畑が浸水し困っている様子をご覧になり一寺を建立したと伝えられています。

 明治26年10月に現在の本堂が再建されています。

 玉林寺の仏像・遺物は常に公開されるものでなく、十五年に一度の中開帳法要および三十年に一度の大開帳法要で公開されています。

寺号:法流山玉林寺

本尊:十一面観世音菩薩

所在地:洲本町大曲

9法音山光林寺(ほうおんざんこうりんじ)

光林寺写真

 正徳二年釋道明(本山佛光寺中興了源上人の母明性尼の弟子)の開く所で、爾来現今に及びます。

 明治24年の火災のため、記録等鳥有に帰したされています。昭和十年四月に再建されました。

寺号:法音山光林寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗仏光寺派

所在地:木浜町2290番地

10遮那山光照寺(しゃなざんこうしょうじ)

光照寺

 享保12年木浜大火事で記録類は焼失しました。西方寺様に伝わる光照寺縁起によると、室町幕府管領の筆頭斯波氏の末裔斯波義照が、天正年間に木浜の南氏を頼り隠居し、後出家して願真と称しました。この願真が父菩提のため一宇を草創したのが光照寺の始まりです。和朝親鸞聖人御影(大谷本願寺釋宣如元和九葵亥歳八月十四日江洲野洲郡川下木濱村光正寺常住物也)上宮太子と三朝高僧御影(本願寺釋琢如寛文肆歳申辰臘月廿二日書之江洲野洲郡木濱村惣道場光正寺常住物也)、蓮如上人御影(釋真如江洲野洲郡木濱村惣道場光照寺常住物也)。当寺は、当初光正寺でしたが、元禄以降光照寺と称されました。現在の本堂は安政5年着工、同7年落成。7間4面の本格的な本堂です。前17世住職釋了成は昭和8年に大谷木浜保育園を創設、当地で初めての幼児保育・幼児教育に尽くされました。その後守山町(市)に移管し、現速野幼稚園の基礎となりました。

 また、伊能忠敬が全国測量の際に宿泊した寺としても知られています。

(関係資料を多数蒐集しています。守山市ホームページ観光・社寺仏閣参照。)

寺号:遮那山光照寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:木浜町2074番地

11惠光山了福寺(えんこうざんりょうふくじ)

了福寺写真

 往時天台宗に帰属していましたが、明応元年蓮如上人に帰依し、真宗となりました。

寺号:惠光山了福寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:木浜町2069番地

12池月山真正寺(ちげつさんしんしょうじ)

真正寺写真

 木浜字里に永正六年泰南によって中興されました。享保12年3月の火災で記録等灰燼に帰したということです。

 『野洲郡史下』によると、五世了祐石山戦争に尽くしたと伝えられています。

寺号:池月山真正寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:木浜町2171番地

13三上山蓮光院(さんじょうざんれんこういん)

蓮光院写真

 永観元年(983年)、源信(恵心僧都)の開く寺と伝えられています。

 東光山醫王寺連光院と号され、のち三上山蓮光院と改名されました。本堂には、恵心僧都作の本尊阿弥陀如来立像をはじめ、薬師如来像、圓戒国師像(開祖真盛上人)、毘沙門天等が安置されています。

 当寺は、真盛上人(1443〜1495)の旅の安全祈願所として知られています。

 本堂の老朽化により、平成10年に改築され、同年、山門及び鐘楼等も改築されました。翌年、落慶法要が営なまれました。

 境内には、増賀上人作の元三大師(慈恵大師)が安置されています。ここで毎年1月に家内安全、無病息災等の祈願法要が営なまれています。

寺号:三上山蓮光院

本尊:阿弥陀如来宗派天台真盛宗

所在地:木浜町1985番地

・宝物

釋尊涅槃図(明治42年2月調)

開祖圓戒国師慈摂大師真盛上人像掛図

・石塔

五輪塔金石(天文9年、天正元年)

宝篋印塔

14大慈山福林寺(だいじさんふくりんじ)

福林寺写真

 平安時代初期、天台宗の開祖伝教大師によって開基され、桓武天皇の勅願所として、旧野洲郡下では最古の寺歴を誇ります。隆盛期は七堂伽藍を具備し、国家安穏、万民豊楽の祈願道場として信仰を集めました。戦国時代、兵火にあった福林寺からご本尊を運び出し、現在地に再興したと言われています。旧福林寺は現在野洲市の史跡として保存されています。

・本尊十一面観世音菩薩(平安時代)(国指定重要文化財)

 天台宗開祖、伝教大師最澄作伝。像高162.2cm、檜の一木造。豊かな頬と肩から足元にかけての衣の流れるような優美さが特徴で、作家の井上靖氏が「星と祭」の中で「天平時代の貴人」と評したことで知られています。

・石造宝塔(鎌倉時代)(国指定重要文化財)

 鎌倉時代の武将、佐々木高綱公が宇治川の合戦に出陣の折り、父母の菩提を祈り、経筒を塔身に納めた。鎌倉時代の代表的な宝塔です。

寺号:大慈山福林寺

本尊:十一面観世音菩薩

宗派:天台宗

所在地:木浜町2011番地

15湖東山法円寺(ことうざんほうえんじ)

法円寺写真

 寛正5年、法西の開基。明暦2年、焼失し道了により中興。

 昭和5年、本堂、全焼。昭和11年に本堂が再建されました。

寺号:湖東山法円寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:今浜町281番地

16具足山法華寺(ぐそくざんほっけじ)

法華寺写真

 当山は、日蓮聖人の法孫日像菩薩が、日蓮聖人の遺言で帝都弘通を命じられた日像菩薩の開山です。

 永仁二年の秋、日像菩薩は近江への弘通求め、堅田より今浜に船により渡ろうと、たまたま時の庄屋今江彦左ヱ門が、舟中において日像菩薩の尊容に打たれ、一夜の宿を供した法華教の教化を受けたのが当山の創りで、当初は法華堂と称してましたが、後日(年代不明)法華寺と寺号を付けたものです。

 今浜町の小字名に堂田という所があるが、伝えられるところによると、昔は法華堂の所有していた田地とのことです。

寺号:具足山法華寺

本尊:久遠の本師釋迦牟尼佛

宗派:日蓮宗

所在地:今浜町205番地

・寺宝

涅槃図(信武筆)一幅

17湖陽山阿弥陀寺(こようざんあみだじ)

阿弥陀寺写真

 天保九年(1838)旧幕臣大久保貞之助によって開墾された今浜新田(今浜町美崎)が誕生。尾張国(愛知県)より移住の山田宗八が仏法に志厚く朝夕参拝すべき僧堂を設けようと、真宗佛光寺派学頭、大行寺の信暁僧都に懇請。本山これを受け方便法身尊像等を添え許可され、当時京都の豪商であった西川幸助等の別荘を購入、阿弥陀寺と称し安政5年(1854)京都公家三条西正二位中納言實勲の第三女藤原満子(妙順)を迎え開基とされました。明治11年(1878)旧幕役所の建物、土地を購入本堂としたが老朽化等から昭和54年広く浄財を得て本堂(地下納骨堂)、客殿を再建し、昭和58年山門(2名の寄進)茶所、平成元年庫裡(住職)平成6年梵鐘及び鐘楼が完成しました。その後篤信者により平成12年本堂冷暖房、塀、内陣外陣絵天上等改修、平成13年境内に親鸞聖人像、報恩燈1対、参道整備が行なわれ以降順次、山門前献燈1対、内陣白壁等金紙張り、通用門、本堂裏塀改修の寄進があり、寺院としての伽藍が整い、平成26年11月宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要勤修。佛光寺派としては珍しい六幅の御絵伝(南・無・阿・弥・陀・佛)があります。

寺号:湖陽山阿弥陀寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗佛光寺派

所在地:今浜町(美崎)2384-1番地

18秋富山正覚寺(あきとみざんしょうがくじ)

正覚寺写真

 桓武天皇の時、比叡山三千坊の一つとして建立された天台宗の寺院であったと伝えられています。

 明応年間に道照が本願寺蓮如上人に帰依して真宗寺院となり、本願寺の東西分派の際には浄賀が教如上人に随順し真宗大谷派(東本願寺)の寺院として今に至ています。

寺号:秋富山正覚寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:真宗大谷派

所在地:水保町527番地

19世野山上漸院観音寺(せのざんじょうぜんいんかんのんじ)

観音寺写真

 人皇四十五代聖武天皇、天平元年、勅願により大和大安寺沙門慶俊法師が当地の官領秋富元朝と戮力して伽藍を草創し、自ら彫刻した聖観世音菩薩を奉安し、湖光山円通寺と号されました。

 弘仁5年伝教大師が郡司恵美朝夏と再興し、寺号を竹蓮寺と改称されました。平治元年源頼朝公が訪れ、開達武運を祈誓して藤鞭を地に挿されました。頼朝公は建久三年征夷大将軍に任ぜられ、当寺へ数町の田地を寄付し大伽藍を造建されました。建武元年9月4日兵火に罹り伽藍は鳥有となり、天文5年本山第四代真叡上人を屈請し当院の中興となし、伽藍を修造し、世野山観音寺と改号されました。弥陀三尊を奉安。文久3年12月18日出火し本堂、庫裡焼失しました。明治六年に仮本堂を建立されました。昭和63年に再建し現在に及んでいます。天正元年本山第八代真源上人の花押のある十王図。淡海録名藤と刻まれた岩の下に藤の木。近江最古の虚空蔵種子板碑等の文化財があります。

寺号:世野山上漸院観音寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:天台真盛宗

所在地:水保町142番地

20随身山立像寺(ずいしんざんりゅうぞうじ)

立像寺写真

 天文5年(1536)7月天文法乱で日蓮門下寺院と延暦寺僧徒、佐々木其の他数藩の諸侯大軍との交戦の際には本国寺安置の立像仏(宗祖大聖人弘長元年5月の伊豆法難以来の随身仏)避難の途中、近江佐々木の水保郷の領主、本須勘解由左ヱ門家臣、野沢又六郎なる者によって居宅に持ち帰られたが、別懇の間にある信望厚き近隣の今井彦右ヱ門が立像を譲りうけました。尺四寸相貎古今無二なる閻浮橿金の霊宝仏であり今井一族庵室を建立して尊信の度を増進高めるに至りましたが、天文17年春、京都本禅寺第五世日覚大僧正代に立像仏を献じ奉りました。今井彦右ヱ門没後(道順院日順大徳)天文20年から正保3年の九十六年間中絶していましたが、本禅寺第十一世日忍聖忍が再興を要請されたのを機に一族、正保3年8月道順院日順大徳庵室跡に一宇を建立されました。日忍聖人より随身仏釈迦牟尼の再来の霊地として随身山立像寺の号を賜りました。

寺号:随身山立像寺

本尊:久遠実成の釈迦牟尼仏

宗派:法華宗陣門流

所在地:水保町229番地

21今姓寺(こんしょうじ)

今姓寺写真

 延暦十六年、伝教大師建立して名づけて今姓寺と号しました。応安2年4月20日兵火の為燃亡しました。享徳三年南家藤原武智麿の後胤、今井越後守信勝、滋賀郡粟津車峰城主並に野洲郡水保を支配しました。信勝蓮如上人に随身し奉り、法名釈連浄を賜り、尚信心堅固の余り、重ねて六字の名号並に法身尊像を賜る。水保、今姓寺焼亡跡に一寺を建立して今井道場と号し、檀家は今井一族にして十戸である。本堂は昭和七年に改築したものである。尚寺号は昭和17年寺院規則改正の折、元の今姓寺と改められました。

寺号:今姓寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:浄土真宗本願寺派

所在地:水保町230番地

22慈眼山福正寺(じげんざんふくしょうじ)

福正寺写真

 寛永の頃当地に道場を創立。宝暦4年本堂建立。天明7年4月本願寺より福正寺の寺号を賜りました。以来玉津村赤ノ井福生寺の通寺となり、昭和17年3月宗教法人法制定により野洲郡速野村大字水保福正寺として独立しました。 

寺号:慈眼山福正寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:浄土真宗本願寺派

所在地:水保町中野2361番地

23無量山竹林院寿福寺(むりょうざんちくりんいんじょうふくじ)

寿福寺写真

 江戸時代前期寛永元年6月7日、後水尾天皇・徳川家康公の頃、了春上人によって開かれました。中興を真良上人とされています。

 平成16年春には本堂の大幅な改築も完成されました。

寺号:無量山竹林院寿福寺

本尊:阿弥陀如来

宗派:天台真盛宗

所在地:水保町中野2345番地

24久遠山正法寺(くおんざんしょうぼうじ)

正法寺写真

 当時は、江戸時代末期に同市今宿本像寺第四十世日量上人が水保講中に参詣した際の休憩所で、明治20年頃に久遠の山号と正法の寺号を冠しました。現在の本堂は、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を記念して昭和56年(1981)に建立されました。

寺号:久遠山正法寺

本尊:久遠の本師釈迦牟尼仏

宗派:日蓮宗

所在地:水保町中野2126番地

25開発  己爾乃神社(こじのじんじゃ)

開発己爾乃神社写真

鎮座地:守山市洲本町1607番地

主祭神:伊邪那岐命 伊邪那美命 天児屋根命 伊香津臣命

境内社:己爾乃若宮

例祭:五月五日

本殿:一間社流造 間口四尺二寸 奥行一間六寸

拝殿:入母屋造 間口二間一尺 奥行二間一尺

その他主たる建物:神輿庫 祭具庫 手水舎 社務所

境内地:318坪

氏子:156戸 洲本町開発

由緒:

 人皇五十三代淳和天皇の天長6年に伊香厚武が創建したと社伝は記しています。伊香厚武とは、伊香宿禰豊厚を大祖とする11代目の末孫で、大夫厚武と称しました。故に創建時の祭神は天児屋根命と伊香津臣命を奉斎したので、明治14年に伊邪那岐命、伊邪那美命を合祀。延喜式神名帳に所載されている野洲郡九座の内の一座です。又、吉田家より「正一位若一大権現」の神階を受け、現在もそれを明記した神鏡を有しています。中世以来近世まで、‘‘速野山若一王子、蓮光寺’’との関係が深く、遷座の折は必ず同時となっていたと伝えられています。

特殊神事:菜蒔盆祭

26大曲  己爾乃神社(こじのじんじゃ)

大曲己爾乃神社写真

鎮座地:守山市洲本町2322番地

主祭神:大己貴命 天津彦根命 素盞嗚命

境内社:稲荷神社 天満宮 大城神社

例祭:五月五日

本殿:一間社流造 間口五尺五寸 奥行一間

拝殿:入母屋造 間口二間四尺 奥行二間四尺

その他主たる建物:神輿庫 祭具庫 手水舎 社務所

境内地:681坪

氏子:96戸洲 本町大曲

由緒:

 「已爾乃御前社」、「已爾乃御前大明神」と称され、文武天皇の大宝三年に中臣為恵が創建したと伝える式内社です。この地は古くは曲峡の里、已爾野荘大曲里と呼ばれ中世には大満加里、大曲ともいわれてきました。当時の境内は現在地より南西に位置し、本宮は柱から柱まで二丈六尺上壇奥行柱から柱まで一丈三尺下壇奥行六尺五寸あり、又拝殿、楼門、御供所、絵馬所、御湯釜所、神楽所、神輿蔵など往古は栄えましたが、永禄年間に兵乱のため破壊され、寛政三年に再建されたものです。享保5年には神祇管領吉田家より「正一位御前社」の神階を受け、後西天皇の皇女喜久宮より染筆の神号を受けています。特に領主高木家の帰依も厚く、更に人民の敬意信仰もあり、往時の隆盛時には近郷の木浜宮、幸津川宮、戸田宮、水保宮、中野宮、矢島社、新開社と七郷の惣社であったと伝えています。保流山玉林寺は神宮寺。

主なる神事:名付祭

社宝:鋳銅水瓶経筒(市文)

27木浜  稲荷神社(いなりじんじゃ)

木浜稲荷神社写真

鎮座地:守山市木浜町2040番地

主祭神:宇迦之御魂神

境内社:蛭子神社 樹下神社 糺神社 貴船神社 野呂神社

例祭:五月五日

本殿:一間社流造 間口一間二尺 奥行一間

拝殿:入母屋造 間口二間四尺 奥行三間

その他主たる建物:神輿庫兼祭具庫 手水舎 社務所

境内地:407坪

氏子:木浜町

由緒:

 元来邸内社を合祀したもので、吉田家より神階正一位を受けています。明治33年、本殿に落雷があり、当社所蔵の社記、古文書などは焼失しま

した。

28今浜  樹下神社(このもとじんじゃ)・今浜城跡

今浜樹下神社写真

鎮座地:守山市今浜町146番地

主祭神:玉依姫命

境内社:龍宮神社若宮社

例祭:五月五日

本殿:一間社流造正面唐破風 間口一間七寸 奥行一間二寸

拝殿:入母屋造 間口二間一尺 奥行二間一尺

その他主たる建物:神輿庫兼祭具庫 手水舎 社務所

境内地:963坪

氏子:196戸 今浜町

由緒:

 創祀は不詳ですが“十禅師権現社”で、比叡山日吉山王社、樹下神社の分霊社です。明歴2年に火災のため社蔵古文書など全て焼失のため全く不詳です。野洲川の即下に境内地が位置するために、決壊等にあい、現存する本殿の元文5年の棟札の裏書に、“万治三年より文久三年まで二百四十年に至る”と記されており、現社殿の整備には、長期間を費いやしたことがうかがわれます。

・主なる神事:硫黄夜祭(旧暦2月24日)

 

 

・今浜城跡

 

 樹下神社一帯に想定される城跡。現状では、堀なども痕跡はまったくとどめておりません。近くの文化財発掘調査で、室町時代の土器が出土しているのが唯一の資料です。

29美崎  皇太神社(こうたいじんじゃ)

美崎皇太神社写真

鎮座地:守山市今浜町2332番地

主祭神:大日孁貴命

境内社:稲荷神社 天満宮 水天宮 愛宕社

例祭:五月五日

本殿:神明造 間口五尺四寸 奥行四尺八寸

拝殿:入母屋造 間口二間 奥行二間三尺

その他主たる建物:祭具庫 手水舎 社務所

境内地:146坪

氏子:約400戸 今浜町美崎

由緒:

 当地は新開地であり、幕末にこの地に入植した人達が明治初年に伊勢神宮を奉斎して、この里の氏神として皇太神社を創建したものです。昭和56年鎮座100年祭を斎行し、本殿、中門、社務所を全て新築されました。

30水保  樹下神社(このもとじんじゃ)

水保樹下神社写真

鎮座地:守山市水保町289番地

主祭神:玉依姫命

境内社:多賀神社 樹下社(水保祖神社)

例祭:五月五日

本殿:入母屋造正面唐破風 間口一間 奥行一間

拝殿:入母屋造 間口二間四尺 奥行二間四尺

その他主たる建物:神輿兼祭具庫 手水舎 社務所

境内地:1727坪

氏子:132戸 水保町

由緒:

 日吉大社の樹下神社分霊社で、嵯峨天皇の弘仁五年に延暦寺僧干時と、この地の官領明富郡司恵美朝臣朝夏が十禅師大明神として奉斎したものと伝えられています。この当時の建造物は、神殿、拝殿、神楽殿、竈殿、御供所、幣殿、楼門、社務所などがあり、又末社も五座、一の鳥居、二の鳥居と往時には栄えたが、野洲川の決壊などにより、現存のものとなりました。「天台真盛宗世野山観音寺」の関係も深く、遷座は必ず同時となっています。これは創建が、延暦寺僧于時であること、そして当社が日吉大社の樹下神社分霊社であることに由来しています。

31中野  樹下神社(このもとじんじゃ)

中野樹下神社写真

鎮座地:守山市水保町1549番地

主祭神:玉依姫命

境内社稲荷神社愛宕神社

例祭:五月五日

本殿:一間社流造 間口三尺五寸 奥行五尺五寸

拝殿:入母屋造 間口一間五尺 奥行一間五尺

その他主たる建物:神輿庫兼祭具庫 手水舎 社務所

境内地:457坪

氏子:250戸 水保町中野

由緒:

 俗称“若宮十禅師社”と称し、日吉山王社の樹下神社分霊社です。奉幣に、天明七年、時の神祗管領卜部良延が「近江国野洲郡中野村正一位

若宮十禅師社」として幣帛を献じたと記されています。境内地が野洲川下流のため、再三堤防が決壊し、本殿や古文書も流失しています。

楓:

 樹下神社の境内に楓の木があります。明治29年の大洪水の際、地元の住民が京都・二条城に仕事の手伝いに行き、城から苗木を貰ってきたも

のと伝えられています。

32旧洲本学校跡

旧洲本学校跡写真

 洲本村(今の開発・大曲)の住民の要望により、明治9年1月に「洲本校」として設立が認められ、校舎は洲本村中ノ前に同年5月5日に開校されました。明治19年に「小学校令」によって簡易科洲本小学校となり、明治21年に尋常科洲本小学校になるまで使用されました。往時を偲ぶもととして、現在、洲本学校の瓦が速野小学校に保存されています。

33旧速野村役場跡・旧速野駐在所跡

旧速野村役場跡写真

・旧速野村役場跡

 明治4年7月14日の廃藩置県の結果大津県になり、同5年1月に滋賀県となって野洲郡8区に編成され、明治7年から8年には、開発東中、開発西と川崎新田が洲本村、木浜と木浜新田が木浜村、水保と水保新田が水保村、今浜と今浜新田が今浜村となりました。明治12年の群区町村編成法の実施により、それぞれの村に戸長役場が設けられ、明治18年連合戸長役場制により洲本、木浜、水保、今浜の4村が連合して洲本の照久寺台所に連合戸長役場が置かれ、明治22年の町村制施行により、これが速野村になりました。役場のあった洲本の式内己爾乃神社の由来に「速野庄己爾野」とあることから速野村と称するようになったようです。速野役場の建設は速野村大字洲本に明治26年4月20日に工事竣工と上棟記念木板に記されていたとのことです。

・旧速野駐在所跡

 明治26年5月1日、野洲郡速野村大字洲本に新築され、速野村の治安維持が行われました。琵琶湖大橋取付道路の開通を機に昭和40年12月15日に守山町木浜に移転されました。

34旧木浜港

旧木浜港写真

 木浜は古くから交通・商業上の重要な港であったとされ、慶応6年の守山市域におけるひらたぶね数は木浜77隻あり、近江全湖港89中で5番目に多い数でした(幸津川25隻、小浜21隻、山賀19隻、赤野井17隻、今浜14隻、杉江13隻)。延宝5年木浜の丸子船数は、7隻で、享保19年には、丸子船・ひらたぶねを合わせて102隻あったそうです。

 明治までは和船の渡航で堅田-大津との往来をしていました。汽船が初めて運航したのは明治12年11月赤野井-大津間に、その後明治29年12月に湖南汽船会社が木浜港に航路を拡張し、大津-木浜港間の航路を開いて1日1往復の航行をしていました。明治38年には吉川―木浜―大津に就航し、明治42年2月に新しい波止場と取扱所を新築されました。大正4年6月には、堅田―木浜―杉江航路が増加しました。水上交通は昭和30年代まで続きましたが、陸上交通の発展と、昭和39年の琵琶湖大橋開通により、木浜港堅田を最後に連絡航路は姿を消しました。

35お満さんモニュメントと硫黄夜祭り

お満さんモニュメント写真

 昔、湖西比良村に容姿・力量ともに優れた力士・八絋山(はっこうざん)がいました。

 或る日、湖東鏡村で相撲の興行があり、「お満」という村娘が八絋山に恋心をもやし、その切なる想いを打ち明けたところ、八絋山は「それほど私が好きなら百日の願行を成就すれば妻にしてやる」と難題を浴びせ掛けました。お満はそんな難題もいとわず、雨の日も風の日も八絋山のもとに通い続け、やがて満願の九十九夜を迎えた時、八絋山は娘の一念のあまりの恐ろしさに灯明を消してしまったのです。

 お満はそれとも知らず、いつものようにタライに乗り暗闇の湖上に想いを燃やし漕ぎ出したところ、いつもの灯りが見えず、いつしか方向を見失い途方に暮れていた。そのとき一天、にわかに突風が吹き荒れ、お満はタライもろとも湖中に葬られ哀れな最期を遂げたのです。世にこの灯籠を名づけて「お満灯籠」と言うようになりました。そしてその暴れ風は数日続き、奇しくも、その時今浜のある村人が湖岸に行ってみると、お満が乗ったとみられるタライは岸に吹き上げられ蛇体となっていました。村人は、これを拾い持ち帰って硫黄をつくりお満の心情を哀れんで神社に祀り慰めたところ、やっと大風が静まったと言う口碑(こくち)伝説であり、今もこの事が春を告げる荒れじまいのもとになったとも言われています。

 以来旧暦の二月二十四日は今浜樹下神社において長老による的張行事と湯立て、舞が奉納され、供養がなされています。

36旧広明学校・旧今浜小学校跡

旧広明学校旧今浜小学校跡写真

 広明学校は、明治7年8月13日、今浜村と水保村が連合して、速野の地に初めての学校が作られ、「広明学校」と名付けられました。この学校は法円寺の庫裏を借用して作られました。明治9年に「観湖学校」に改名され、明治12年今浜村字内畑に校舎が新築されました。明治19年「小学校令」が公布され、「尋常科今浜小学校」となるまで12年間、今浜村と水保村の子どもの教育の中心としての役割をはたしました。

 今浜小学校は、明治19年「小学校令」が公布され、尋常科今浜小学校、明治21年に第八区尋常科今浜小学校、明治27年に今浜尋常高等小学校、明治32年6月に今浜尋常小学校に改名されています。

37旧木浜小学校跡

旧木浜小学校跡写真

 明治5年に「学制」が公布され、木浜小学校は、明治8年に木浜村の奥村源内の家宅を借用し作られました。明治17年11月校舎を今の天理教会の辺りに新築し、明治19年の「小学校令」によって、尋常科今浜小学校の第一支校となり、その後明治21年尋常科木浜小学校、明治28年木浜尋常高等小学校、明治36年には木浜小、今浜小、洲本小が一緒になり速野尋常高等小学校となりました。

 かつてあった浜甚には、旧木浜小学校の玄関が移築されていました。

38故土手一等陸尉頌徳碑

故土手一等陸尉頌徳碑写真

 昭和40年9月17日の台風24号では、今浜新田(今浜町美崎)の野洲川南流の堤防が決壊しました。大川橋や新川橋が流され、この水害で家屋1戸が全壊し、17世帯が床上浸水して孤立しました。この時、孤立した中島地区の救助に向かった自衛隊員のボートが転覆し、隊員土手善夫一尉の尊い命が失われました。翌年9月18日に一周忌法要に併せ供養碑が建立され除幕式が執り行われました。

39お満灯籠

お満灯籠写真

 今浜新田(現美崎)地先は、琵琶湖のもっとも狭い部分であったことから、湖上を行き交う船の安全を願い、京都の西川幸兵衛により灯籠が立てられました。このため、この地は新田の灯籠崎と呼ばれ親しまれました。明治42年、幸兵衛の子孫により木製の灯籠を石燈籠とするとともに場所も高台の松林に移設されました。お満燈籠の伝承は、この灯籠から広がったものと思われます。現在は、琵琶湖大橋の料金所の近くの道路脇に移設されています。

40大槻氏城跡

大槻氏城跡写真

 大槻氏の居城と伝えられて、現在の大槻家一帯が城跡と想定されます。

 木浜の士豪大槻氏は、最初は源頼朝の御家人、次いで室町時代は守護大名六角氏の家臣、信長・秀吉につかえ、江戸時代は藤堂高虎の重臣となりました。

 二つの実績が残されています。一つは明応三年大槻源兵衛光兼の時代に、木浜村領内の平林中に坂本日吉大社の十裸師社を勧請したこと(現在、樹下神社、稲荷神社境内に祀る)。もう一つは同じ頃木浜村の田畑に野洲川の水を取り込むため、舟の出入りのできるほど大きい樋ノ口を開発したされています。

41木浜城跡

木浜城跡写真

 進藤山城守(しんどうやましろのかみ)の居城と伝えられる城跡で、現在は水路などの痕跡があります。小浜町にも進藤山城守の小浜城がありました。進藤氏は六角家の侍大将として三代に亘り、六角氏三代の重臣を勤めています。それゆえ観音寺に上屋敷を構え、高氏以来の由緒ある木浜役場の地を守っていたと伝えられています。また、室町幕府第十五代将軍足利義昭は進藤氏をたよって矢島に来たと伝えられています。

 「明智軍記によると、進藤山城守秀成、後藤喜三郎頼基が義賢に背いて木浜城に籠るという」「四目録には永禄8年5月16日、進藤山城守居城木浜城焼失とある」『野洲郡史』証拠付ける跡は定かではありません。

42速野小学校

速野小学校写真

 明治36年10月1日「速野尋常高等小学校」が木浜分教室で開校し、広明学校の誕生後29年目にして、「速野」という文字が校名に使用され、文字どおり速野村に1つの学校が出来ました。「速野尋常高等小学校」が今の小学校の基礎であります。明治45年6月28日で、すべての分教場が廃止され、速野の子どもが現在地の学校で学ぶようになったのが大正3年7月、その後、昭和16年速野国民学校、昭和22年に速野村立速野小学校、昭和31年守山町立速野小学校、昭和42年の校舎改築、昭和45年に守山市立速野小学校、平成7年の校舎改築が行われました。

 現在の速野小学校には明治45年に建設された旧正門が残されています。守山市内に現存する最大の石柱校門です。

43速野幼稚園

速野幼稚園写真

 昭和8年に木浜の光照寺の社会事業施設として、速野村保育園が開設されました。保育は、光照寺の本堂と境内で行われ、「愛せよ、敬せよ、強く育てよ」をモットーとして、23年間幼児保育が行われました。昭和30年には守山町に移管されて、速野小学校の敷地内に移されました。名称も速野保育園と改称され、公立の保育園として再出発しました。昭和31年に旧町村の各保育園を廃止して、新しい公立の守山町立速野幼稚園が創設され、昭和45年7月には市制が施行され、守山市立速野幼稚園と改称されました。

44明富中学校

明富中学校写真

 旧明富中学校は、昭和23年6月に速野中学校と中洲中学校が統合され速野村中洲村学校組合立明富中学校が設立され、速野小学校内に速野校舎、中洲小学校内に中洲校舎が置かれ、昭和25年9月に中洲村立田に新校舎建築されました。

 町村合併により、昭和30年1月に守山町中洲村組合立明富中学校と校名が変更されました。昭和37年4月に守山町内3中学校の統合により、守山中学校が発足し、旧三中学校に湖南校舎、三和校舎、明富校舎を開設され、昭和38年9月守山市石田町に新校舎の建築が始まり、昭和40年4月に明富校舎の生徒が移転しました。新しい明富中学校は、守山北中学校の生徒数の増加により、守山北中学校から分離し、明富中学校の新設が決定され、守山市水保町に平成3年3月31日に校舎竣工、そして同年4月6日開校式が実施され、新しい明富中学校が誕生しました。

 校名に由来について、『和名鈔』という我が国で一番古い辞典(平安時代)にこのあたりの郷名(村の名)として、「明見」とあり、その後「明富荘、速野郷」と言われるようになりました。明富中学校の名は、由緒ある地名によって名付けられたものです。

45ひなぎくこども園

ひなぎくこども園写真

 昭和27年7月旧中洲村服部において創設者今井林三氏の私宅を開放して、ひなぎく幼稚倶楽部を開設されました。昭和28年1月には厚生省・滋賀県より児童福祉施設保育所に認可を受け、ひなぎく保育園と改名されました。昭和30年にはスクールバスでの送迎を開始されました。園児増加に伴い、昭和39年に水保町(浜街道沿い)に新園舎を竣工され保育を開始されました。昭和44年には社会福祉法人むつみ会を設立し、法人立保育所として厚生省に認可を受けられました。平成23年には幼稚園も新設され、認定こども園の認可を受けられ、ひなぎくこども園となりました。

 開園から度々の増築や改修等を経て、平成23年に現在の園舎となりました。現在の園舎は今浜のお満灯篭モニュメントから園舎を見ると顔に見えるようになっています。

 園名の由来は、今井氏の私宅にはヒナギクの花がたくさん咲いており、踏まれても、踏まれても毎年美しい花を咲かせていました。今井氏はヒナギクの花は小さいですが元気でたくましく花々が寄り添って咲いている様子をみて、子どもたちがヒナギクの花のように元気でたくましくみんなで仲良く育つようと願いを込めて名づけられました。

46速野カナリヤこども園

速野カナリヤこども園写真

  社会福祉法人友愛の守山市内の保育園としては、カナリヤ保育園、カナリヤ第二保育園に続き3園目の保育園として、平成17年5月に速野カナリヤ保育園が開設されました。平成22年には幼保連携型認定こども園として速野カナリヤこども園が開園となりました。

 園名の由来は、可愛い小鳥たちのさえずり(子どもたちの声)が常に耳元で聞こえるようにと創設者の堀井隆彦氏が願いをこめて名づけられました。

 園舎の壁がピンクで印象的ですが、ピンクは幸せな気持ちや優しい気持ちになる効果があると言われ、皆さんにやわらかい印象を持ってもらうためです。 

47佐川美術館

佐川美術館写真

 平成10年3月に設立母体である佐川急便株式会社の創業40周年記念事業の一環として開設されました。日本画家の平山郁夫氏、彫刻家の佐藤忠良氏、陶芸家の樂吉左衞門氏の作品を中心に展示されています。また、期間ごとに特別展示も行われています。佐川美術館は水に浮かんで見えるよう建築されており、建物の鑑賞も楽しむことができます。

 

【開館時間】午前9時30分から午後5時まで

      (最終入館は午後4時30分まで)

【休館日】原則 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始

※展示替え等のため臨時休館される場合があります。

48琵琶湖大橋

琵琶湖大橋写真

 滋賀県の発展と琵琶湖観光の開発を目的として琵琶湖大橋は建設されました。昭和39年9月27日に開通式が行われ、当時の小学生もパレードに参加しました。

 開通以来、産業経済や観光発展に大きな役割を果たし、昭和55年3月に大橋の自転車歩行者道の添架、その後の交通量増加に対応するため、大橋の四車線拡幅事業を行い平成6年7月に供用されました。

 琵琶湖大橋の建設時や開通式の様子は、映像で残されています。ご興味のある方は速野会館までお問い合わせください。

49列系図橋跡

列系図橋跡写真

 洲本町開発と水保との間に架かられた旧野洲川南流の橋で、現在は平地化しています。橋の両岸に標石のみが残っています。列系図橋は昭和2年に木橋最後のものが完成しましたが、川の中腹の河川敷から中腹まで架けられたもので、たびたびの流失で橋のない時の方が永く、徒渡りするか、今浜橋へ大回りしなければなりませんでした。

 昭和10年4月にコンクリート橋に架設されました。名称の由来は地名からとも言われています。

50天神橋跡

天神橋跡写真

 水保町より速野小学校・木浜方面への通行の為に架けられた旧野洲川南流の橋で、昭和30年10月にコンクリート橋として竣工し、渡り初めが翌年31年1月に行われました。

現在は旧野洲川南流の平地化事業やびわこ地球市民の森の整備にあわせて取り壊され、橋の両岸に標石のみが残っています。

51今浜橋跡

今浜橋跡写真

 昭和9年に当時6万4千円の経費で猪飼増吉の請負でコンクリート橋が完成しました。

 今浜町と水保町中野の間に架けられた旧野洲川南流の橋で、現在は平地化しており、橋の両岸に標石のみが残っています。

52大川橋跡

大川橋跡写真

 旧野洲川南流の大川に架けられた大川橋は、川に打込まれた木の橋脚に橋桁を架け、橋板をわたすという素朴なものであり、このため、一旦水かさが増すと橋板が流失しないよう取り外されることがたびたびでありました。このため孤立する北川地区の住民の安全確保のため、昭和47年には鋼製の橋に架け替えられました。

 その後、旧野洲川の平地化に伴いこの橋も平成19年に撤去されました。

53北公民館

(写真省略)

 昭和46年2月に市北部の社会教育の拠点として、洲本町に北公民館が完成しました。市内には中央公民館と北公民館の二つの公民館が設置され、河西、速野、中洲学区を対象として公民館活動が推進されました。また、行政事務として戸籍、住民票などの各種証明の発行や社会教育関係の仕事としては、家庭教育学級、高齢者学級、公民館講座の開催や各種団体の指導援助などを行っていました。

 昭和51年4月に中央公民館、北公民館だけでなく、各学区に公民館が設置されることとなり、速野会館が併設されました。

 その後、昭和54年1月に速野会館・公民館・支所が水保町に新設され、昭和56年5月障害者福祉教育センターを併設、昭和58年4月青少年活動の拠点施設に位置付けられました。平成24年には公民館自主事業を生涯学習・教育支援センター(エルセンター)に移管し、現在、北公民館では貸館業務、市民グループによる自主教室の開催や青年活動の拠点として利用されています。 

54速野会館・速野公民館・速野支所

(写真省略)

 速野会館・公民館・支所は、昭和51年4月に北公民館に併設して設置されました。その後、昭和54年1月に現在の水保町に新しく建設され開館されました。

 地域住民が、交流を深め自主的に活動し、生活の改善および向上に資することの場、社会教育・社会福祉の地域の拠点として各種団体・機関等と協力しながら地域づくりに取り組んでいます。また、支所として住民票や印鑑証明や戸籍謄本などの各種証明や手続きを行っております。 

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お問い合わせ

守山市 速野会館・公民館・支所

〒524-0102 滋賀県守山市水保町2236

電話番号:077-585-3953 ファクス:077-585-5253

hayanokaikan@city.moriyama.lg.jp